159-衆-文部科学委員会-21号 平成16年05月21日
○池坊委員長 松本大輔君。
○松本(大)委員 民主党の松本大輔です。
私の出身は、先週も申し上げたとおり広島県です。今週の月曜日に県内の尾道市立の土堂小学校を訪問いたしました。先週から地教行法の改正というのが審議に入っていたからなんですけれども、百升計算、音読、それから漢字の前倒し学習、こういったユニークな学習方法で有名な陰山英男校長のお話をお伺いしてまいりました。実際に現場の先生方がやっていらっしゃる授業の内容も見せていただいたわけなんですけれども、百升計算に五年生の生徒さんが一心不乱に取り組んでいる。それから、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」というのを暗唱されていたり、あと、萩原朔太郎の「竹」という詩を朗読したりというような姿勢を見て、私も非常に元気づけられたわけでございます。朔太郎が「竹」という詩に書いたとおり、まっしぐらという形容がまさにぴったりの様子でした。
私は、学ぶことの喜びというのは、きのうできなかったことがきょうはできるようになること、そういうことにあるのではないかなというふうに思っています。きのうは二分台でしかできなかった百升計算が、きょうは一分半でできた、きょうは暗唱は完璧にできなかったけれども、あしたはできるようになるかもしれない、あるいは、あしたもできないかもしれないけれども、いつかはできるようになるかもしれない。こういうことが学ぶことの喜びなのではないかな。そして、それが将来、生きていく上での大きな自信、生き抜く力、強さ、たくましさというものにつながっていく。そして、それは幾つになっても変わらない。これがやはり学ぶことの重要さ、喜びではないかなというふうに考えた次第であります。
一年生、二年生の授業も実は参観させていただきまして、そこに、黒板の前ですけれども、クラスのお約束というのが張ってありました。クラスのお約束、何が書いてあったかというと、けじめをつける、人を傷つけない、うそをつかないということが書いてあったわけです。
つまり、一年生とか二年生のうちにしっかりと身につけておくべき、まさに人としての基本というものが、うそをつかない、けじめをつけるということにあるのではないか、私はそのように思うわけです。道徳教育とか教育基本法の改正とかいうことが取りざたされるわけですけれども、やはりこの基本というものはきっちり押さえておかなければならないのではないか、私はそのように思ったわけです。
おかげで、教室内を徘回している生徒さんもいませんし、携帯電話でテトリスをやっているような人もいませんし、いつまでたっても私語が終わらないというようなこともない。国会の方がよっぽど学級崩壊しているんじゃないかと私は恥ずかしくなったわけであります。
さて、けじめをつける、うそをつかないというのはやはり小学生でも知っている道徳の出発点ではないか、私はこのように考えるわけですけれども、このことを大人である私たちがみずから実践することで、子供たちにしっかりとそのことを教えていかなければならない、こういうふうに思うわけであります。
本日、JR西日本が安全検査についてうその報告をしていた、それから三菱自動車がクラッチの欠陥を八年間放置していた、このようなニュースが流れているわけであります。もちろん運輸行政についても、それからきょうの議題になっております原子力行政についても、やはり安全確保それから信頼というものが大前提となってくるわけですけれども、けじめをつける、うそをつかない、これこそが人の基本であるということに関して、大臣の御見解をお伺いしたいと思います。
○河村国務大臣 おっしゃるとおり、私も非常に大事なことだと思います。
先般、そこの校長先生のお話も、一部ではございましたがお伺いをいたしました。学校が生き生きとしてやっておられる姿、大変頼もしく、うれしく思ったわけでございます。特に子供のとき、初めていろいろ出会うことがありますが、そのときにやはりきちっと教え込んでおく、そしてまた、そうしたまさに道徳的倫理観的なもの、やはり、いいこと悪いことをきちっとしておくということ、そこのところをおろそかにしていると、先々で親もほぞをかみますが、後でそういうところが出てくるということだろうと思います。
今日、日本の子供たちをめぐる状況あるいは大人社会の緩みは一体何であろうか、これが強く今言われておるわけでございまして、先般ここで武士道のお話もいただいたわけでございますが、まさに日本人がこれまで大切にしてきたそういうことを、やはりいま一度ここでそういうことに思いをいたしながら、教育も再考し、大人社会ももう一度今再考しなきゃいけないときに来ておるのではないか、その一端の役割を文部科学行政が担っておるのではないか、そう思いながら、その責任の重さもかみしめておるところでございます。
○松本(大)委員 ありがとうございます。
実は、陰山校長も同じようなことというか、似たような趣旨のことをおっしゃっていらっしゃいまして、教育問題、これは学校問題だけに矮小化されるべきではない、社会問題としてぜひとらえてほしい、社会全体で子供を元気にしていかなければならないとおっしゃっていたのが、私にはとても印象的でありました。やはり、大人が範を示さなければ、子供の見本となって社会全体で子供の教育というものに取り組んでいかなければならない、私はそういう思いを新たにしたわけであります。けじめをつける、うそをつかない、大変重要なことだと思うわけであります。
本日は、放射線障害防止法の改正案をめぐる審議ではありますが、先ほど川内委員からも御指摘ありましたとおり、きのう大変残念なニュースが飛び込んでまいりました。この残念な報道についてお伺いしなければなりません。
原田副大臣の学歴虚偽記載問題についてであります。申し上げるまでもないことですけれども、報道が行われたのは十七時過ぎで、質問取りはもう過ぎておりました。辞任の会見が事前に通告されていれば私も質問を通告することができたんですが、通告は行っていないということをあらかじめお断りしておきます。本来であれば御本人にぜひお伺いしたいというところですけれども、本日は、私のたっての希望で、いつも男前な馳政務官においでいただきました。ぜひ御見解をお伺いしたいと思います。
さて、先日、五月十四日、ちょうど先週の金曜日になります。私立学校教職員共済法等改正案をめぐる審議の中で、同僚の高井議員が、自民党も所属国会議員の年金納付状況を公表すべきではないか、こういう趣旨の質問をしたわけであります。馳政務官は次のように答弁されまして、私たち民主党から拍手喝采を受けたわけであります。御紹介させていただきます。
公表に関して言えば、我々国会議員であれば資産公開、また政府の要人になれば、私は女房とは財布が別なんでありますが、女房の資産まで報告させられるというか、しなければいけないという、倫理上の問題もありますから、こういう保険料の支払いといった情報は公開することは当然のことなのではないかなと私は個人的には思っておりますが、私が個人的に思っているということでありまして、それだけ政治家には社会的な倫理性が求められるのではないかなというふうに思っています、こういう答弁をなさっていらっしゃるわけです。
先ほど、うそをつかない、人を傷つけない、けじめをつける、道徳の基本であるというお話を紹介させていただきました。大人が率先して範を示していかなければならないのではないか、そんなお話をさせていただいたわけです。馳政務官もさきの答弁でお認めになっていらっしゃるように、国会議員となれば、単に大人だということだけでなく、それ以上の、社会的倫理性という言葉を使われていらっしゃいました、社会的倫理性というものが求められる。
大臣、私たちは単なる国会議員ではなく文部科学委員であります。原田議員は、しかも教育行政をつかさどる文部科学副大臣でいらっしゃいました。教育行政をつかさどる文部科学省の副大臣が経歴を詐称していたということに関して、その倫理的責任、馳政務官は社会的倫理性という言葉をお使いになっていらっしゃいますけれども、その倫理的責任についてはどのようにお考えでしょうか。これは政務官にお答えをいただきたいと思います。
○馳大臣政務官 原田副大臣が辞任に至るに当たって河村大臣とどういったやりとりがあったかということは、これはまた河村大臣にお聞きいただければいいと思います。
私も、昨日の夕方、政務官室におりましたら、原田先生がいらっしゃって事実をおっしゃいまして、大変申しわけなかった、こういうことが、確かに調査をしてきのうわかったことであるけれども、副大臣という立場である以上、私はやめますとおっしゃいました。そういう観点からいえば、原田先生が国民に対してできる限り事実に基づいて報告をなされて、そして人間としてのけじめをつけるということは必要だと思いますし、また、そういう観点からも、正直、事実がわかったということですぐに副大臣の職をおやめになったというふうに私は認識をいたしております。
先ほどから川内先生と官房長のやりとりも拝聴しておりましたけれども、公費での留学ですよね。どうして、帰ってきて成績証明書であるとか卒業証明書であるというものを提出するのを義務化していないのかなと、私は正直疑問に思いました。また、それは今後どのように、これは文部科学省だけではなく、各省庁は公費によって留学をさせた職員に対してどういうふうな対応をするのかという、全体として十分考えていかねばならない問題であるということがわかりました。
でありますから、今般の原田副大臣の辞任に際しましては、私は原田先生を尊敬しております、その心中をおもんぱかるとともに、できる限りの説明責任を果たしていくことによってけじめをつける問題である、こういうふうに思っております。
○松本(大)委員 ありがとうございます。
河村文部科学大臣には、後ほど御見解をお伺いしたいと思います。
ちなみに、政務官は、御自身のホームページの中で次のような文章を載せていらっしゃいます。一月二十七日付「はせ日記」。
古賀潤一郎代議士が今朝、地元福岡の街頭演説で「辞職せず。民主党離党。歳費もらわず国庫に返還。閉会中にはペパーダイン大学にいって単位取得する!」などとむちゃくちゃな、意味不明な理由を述べて幕引きをしようとしたという情報が入る。
辞職するしないは本人の道義的責任。しかし、経歴詐称は明白であり、選挙民から告訴されれば福岡地検は捜査に入り、事実関係を調べたあと、おそらく起訴されて司法判断がなされるであろう。その際には、故意か勘違いかが争点になるであろうが、起訴された時点で辞職は避けられまい。なんといっても、経歴が違うことは本人も大学側も認めているのであるから、間違いなく公職選挙法違反。である以上は、早くやめたほうが賢明では。
民主党離党で、民主党に対する責任は取れるであろうが、有権者に対する責任を取ったことにはならない。ちなみに、国会議員の歳費の国庫への返納は、寄付行為にあたり認められていない。初歩的な勘違い。ましてや、議員であり続けながら閉会中に大学の単位をとるなんて言語道断。国会議員としての職責放棄と受け取られる。
有権者は、大学の単位を取得させるために古賀さんに一票を投じたわけではない。……どうも、勘違いが勘違いを呼んで、自分を見失っているようだ。民主党は彼を公認した責任をどう考えているのか。
こういう内容を日記に載せていらっしゃるわけです。「経歴詐称は明白」「離党で、民主党に対する責任は取れるであろうが、有権者に対する責任を取ったことにはならない。」「民主党は彼を公認した責任をどう考えているのか。」と政務官は書いていらっしゃるわけですけれども、ぜひ民主党を自民党に置きかえて考えてみていただきたいな、かように思うわけであります。
文部科学行政の推進には、国民の信頼が不可欠であります。副大臣を起用された、その起用にかかわった大臣にぜひお伺いしたいと思います。
原田さんの有権者に対する責任というものはどうとっていかれるのでしょうか、どうとるべきかというところでございますが、説明責任を果たすべきではないでしょうか。この委員会の場にぜひお招きする必要があるのではないかと考えますが、大臣の御見解をお願いします。
○河村国務大臣 有権者に対する責任は、選挙区の皆さん方、原田先生を応援して当選させられた方々に対しては、みずからも今回の辞職についてホームページでそのことについてきちっとおわびを兼ねて説明されておりますし、また、選挙公報等のそういうものに大学院卒業ということを明示されたことはないと伺っておりますから、さっきの古賀さんのケースとはちょっと違うのではないか、私はそう思っております。
しかし、先ほど来お話しのように、結果的に事実でなかったことをホームページや何かに書いたということは事実だから、これはやはり子供たちに対する説明責任もある、いわゆる文部科学行政の担当の副大臣としてはふさわしくないということで潔く身を引かれた、このように思っておりますし、これからも、恐らく選挙区に対しては、どういう理由でおやめになったかということについてきちっと説明を果たしていかれるであろう、このように思っております。
○松本(大)委員 選挙公報に載せていないということなんですけれども、この点については後で触れます。
馳さんのホームページにも、「故意か勘違いかが争点」という部分がありました。この点に絡めて、ちょっとお伺いしたいと思います。
原田さんは、故意にはやっていないと主張されています。しかし、万が一ですけれども、もしも卒業していないという事実を事前に知っていて、故意に選挙公報に載せなかったとしたら、この場合はどうなのか。むしろ、そちらの方が悪質なのではないか。先ほどからお話が出ておりますとおり、政府派遣留学生、つまり国費が投じられていたわけです。
なぜそのようなことを思うかといいますと、ここに衆議院要覧というものがあります。乙と書いてありますね。衆議院事務局が発行している公文書のたぐいじゃないかと思うんですけれども、ここの百七十八ページに、「政府派遣留学生として、ボストン(タフツ)大学政治外交大学院を卒業。」というふうに記載をしているわけです。
この衆議院事務局発行書類に虚偽の記載をすることというのは、何の罪にも問われないんでしょうか。これはぜひ、もし御回答いただける方がいらっしゃらなければ、後日の委員会の場で明らかにしていただきたいと思いますけれども、その点についてよろしくお願いしたいんですが、どなたか見解を述べられる方がいらっしゃれば、しかるべき照会箇所を教えていただければその方にお伺いしますし、今ないのであれば、大臣、教えてください。
○河村国務大臣 この問題については、どなたに聞けばわかるのか、私自身は、それがどういうような形になるのかわかりません。衆議院の事務局にでも照会されたらいかがでしょうか。
○松本(大)委員 ありがとうございます。しっかり照会させていただきたいと思います。
ちなみに、文部科学省のホームページにも、副大臣の学歴はこのように掲載していたわけであります。これは文部科学省のホームページのコピーです。要覧にも載せるし、文部科学省のホームページにも載せるという非常に誇らしい学歴であるにもかかわらず、なぜ選挙公報には載せなかったのか、むしろ不思議に思うわけであります。
では、もし、この時点で本当に知らなかった、選挙のときには卒業していないという事実に本当に気づいていなかったとしたらどうなのかという部分でありますけれども、本日付の新聞報道によれば、「四月に報道関係者から促され、」この促されというのが僕はよくわからないんですけれども、うわさを聞いたが大丈夫かというような指摘を受けたということでしょうか。「同大学に詳細な確認を求めたところ、五月三日に成績表が届き、必須科目の一つに「不可」があることが判明した。同窓会名簿の記述は不正確で、同十九日に、大学から「学位はない」との正式回答を受けたという。」とありました。
選挙のときは知らなかった。しかし、どういうわけか選挙公報には載せなかった。誇らしい学歴です。載せなかった。そして、選挙が終わって半年たった五月三日になって大学から成績表が届いて、必須科目を落としていたことがわかった。
本来であればこの時点で、必須科目を落とせば卒業できないというのは、聡明な原田副大臣ともあろう方が気づかないはずはないわけでありまして、少なくともその時点で、大臣に報告の義務があったのではないか、あるいは文部科学省のホームページを訂正する必要があったのではないか、私はそのように思います。そして、この時点で対外的なリリースで明らかにすることもできたのではないかというふうに考えるわけです。
新聞報道によれば、十九日に大学から学位はないとの正式回答を受けたとおっしゃっているようですが、三日に単位を落としたという文書が届いているのに、何で正式回答は十九日まで十六日間もかかっているのか、最終的な結論がどうして出ないのか。ここについても、私は非常に不思議に思うわけであります。IT全盛時代、電話だってあります。なぜこんなに最終確認に時間がかかるのか。
百歩譲ってそれを認めたとしても、つまり、三日に文書が届いて、そんなはずはないだろうということで大学に照会をされて、それから二週間以上たって五月十九日に最終的な回答が来た、ここを認めたとしても、少なくとも十九日の時点では公表できたはずです。
さて、ここで思い起こしていただきたいのが、三日という日付、十九日という日付が政治的にどのような意味を持つかということです。三日といえば、年金法案の衆議院通過前です。つまり三党合意の修正案が採決される前です。そして、十九日といえば、有事法制の修正案の本会議採決前です。きのうの発表も夕方の五時でした。あすには首相の訪朝で、恐らく関心はそちらの方に、つまり本件学歴虚偽記載への関心も薄れると。
法案修正についての政党間合意を図る場合、何より重要なのは政党間の信頼関係ではないかと私は思います。本日の議題である原子力行政についても、大臣自身、所信の中で述べられていらっしゃるように、最も重要なのは国民の信頼ではないか、私はそのように思うわけです。
この政党同士の信頼関係とか国民との間の信頼関係とか、これを抜きにして法案審議をすることなど到底できないのじゃないか、私はこのように思います。法案審議をする際、与党と野党で、賛成、反対という意見が分かれることは大いにあり得ることです。しかし、意見は分かれても審議は尽くすと。だからこそ、今回のこの放射線障害防止法の改正案の最後にも、「何とぞ、十分御審議の上、」というふうなただし書きがあるわけであります。
ところが、イラク特での自衛隊派遣のときもそうだったし、厚生労働委員会での年金法案の採決のときもそうだった、一方的に質疑が打ち切られて、強行採決が行われたわけです。とても十分御審議の上などと言える状況ではあり得ませんでした。加藤委員には、少なくともイラク問題については認めていただけるのではないか、私はそのように思います。誠実さを尽くすという意味での信義と、それから議論は尽くさなければならないという意味での審議も両方ない、まさにシンギなき国会ではないか、私はそのように思うわけであります。
大臣、大臣は、原子力について触れられた所信にも、原子力については「安全規制の充実を図る」という言葉とともに、「国民の信頼と安全確保を大前提として、」という内容を盛り込んでいらっしゃいました。もしも、今回の事実公表のタイミングを故意におくらせていたのであれば、これは非常に問題ではないかなと私は思うわけであります。有事関連七法案についても、年金制度改革についても、国民の同意の大前提となる信頼関係というものが根底から崩れ去ってしまうわけであります。
そこで、大臣にぜひともお伺いしたいことがあります。
大臣、大臣はたしか、同郷の偉大な方でいらっしゃいます吉田松陰先生を非常に尊敬なさっていたというふうに思っております。所信にもたしか引用されていらっしゃいました。ホームページにもお好きな言葉として至誠通天というものが挙げられていました。誠意は必ず通じるということだと思います。吉田松陰が江戸に立つ前に、至誠にして動かざる者いまだこれあらざるなりという書からきているわけであります。
今回の事実公表に至るまでの過程、あるいは今回の国会運営の中にも、天にも通じるような誠が果たしてあったのかと私は疑問に思うわけであります。今回の公表のタイミングについて、故意にタイミングをはかっておくらせたのではないか、私はそのような疑いを非常に強く思っているわけですけれども、大臣、今回の一連の過程に、どこに大臣が何よりもたっとばれている誠というものがあるんでしょうか。閣僚としての責任ある答弁をお願いいたします。
○河村国務大臣 至誠通天ということは私も大事な言葉と思っておりますし、原子力行政というのはまさに信頼関係に基づいていかなきゃいけません。一歩間違えますとそれは大きな影響を受ける、そういうものでありますから、みんなの協力をいただかなきゃ原子力行政等は進まないわけでございます。
今のお話は、これは物の考え方、物を疑ってかかればいろいろなこともまた疑えるものだなと私も思ったのでありますが。
私は、原田副大臣が、まさに、私に対しても本当に苦渋に満ちた顔で、誠意を持って、自分のこういう事実があったということに対して申し開かれた。このことは私は、そして特に、ましてや私は子供たちあるいは大学行政、そういうものに携わる文部科学副大臣でありますと。そのことからしても、今回については、私にも、それは説明いろいろつけたとしても、事実と違ったということについてはやはり責任を感じて、その職にふさわしくないんだと思ったからという思いで言われたわけでありますから、私もその思いを尊重させていただいた。
今の三日、十九日というのは、松本先生言われることは、そのタイミングですから、そういう考え方もあるのかと私は今初めて聞いてそう思ったんですが、少しこれはうがち過ぎじゃないか。物の偶然とかそういうことはありますから、そういう見方をすればそういうふうになるのかもしれませんが、ちょっとこれは余りにもうがち過ぎて物をごらんになっておるのではないか、私はそういうふうに感じております。
そういうことと、原田副大臣がその事実をつかんで、どういうふうに自分で考えたらいいか、それは、即その日におやりになれば、それはそれでよかったのかもしれぬけれども、自分でもいろいろ悩み、考え、その上で最終的にああいう決断をされた。私は、原田さんの、私に対して説明されたときに、その思いがわかっておりますだけに、今松本委員の方から御指摘あったことは、私自身にとってもちょっと、至誠通天の考え方からいっても、どうもこれをそのとおりですと受け入れる問題じゃないし、むしろ、少しうがち過ぎて、そっちの方へ話を余りにも引っ張っていかれたのではないか、そのように私自身は感じました。
○松本(大)委員 原田前副大臣が、実は古賀議員と同じ福岡県選出でいらっしゃるわけですけれども、私は、不思議に思うのは、古賀議員のことを受け、おれは大丈夫かというふうにどうして調べられなかったんだろうかなと非常に疑問に思うわけです。あるいは、地元の有権者の方に、原田先生大丈夫でしょうねとか、地元のマスコミの方に、先生は大丈夫ですよねというふうに聞かれることはなかったのか、非常に不思議であります。
古賀さんの問題が初めて持ち上がったのが一月十七日、今から四カ月も前ですね。それから調べる時間は十分過ぎるほどあった。
実際、原田さん、御自身のホームページで次のようなことを書いていらっしゃいます。一月二十二日、「ヨッシー日記」。
このところ毎日衆議院議員古賀潤一郎さんの学歴詐称問題がマスコミで騒がれています。同じ福岡県でまた隣りの選挙区でもあり、多少の面識もあるため複雑な気持ちにもなりますが、仮にそれが事実であれば、政治家以前に人間として決して許されるものではなく、早晩なんらかの決断は必要となると思います。そしてこれを他山の石として私たちも今後一層自らを律していくことが必要です。
人間として決して許されるものではない、非常に重い一言です。人格まで否定していらっしゃいます。しかも、教育行政をつかさどる文部科学省の副大臣なわけであります。文部科学行政の重要な職責を担う立場にありながら、これまで虚偽の記載により誤った情報を有権者に伝えてきたわけです。
そういった政治的責任、道義的責任、社会的責任というものを考えた際に、やはりどうしてもこの場にお呼びする必要があるのではないか、果たしてその責任、説明責任ということももちろんでありますが、副大臣の職を辞すればそれで事足りるものなのかどうか、御自身が口をきわめてののしっていらっしゃったことを考えれば、この問題は何としてでもきっちりけりをつけていかなければならないのではないかなというふうに思います。
きょうのテーマは放射線障害防止法改正です。何度も申し上げるとおり、原子力行政については国民の信頼回復が第一です。もちろん年金制度改革も有事七法案も国民の信頼が大前提であります。しかし、厚生労働副大臣は年金未納、文部科学副大臣は学歴詐称。一体この内閣はどうなっているんでしょうか。こんな状態では、内閣そのものを信任できないのではないか、政治そのものへの信頼が根幹から崩れ去ってしまうのではないか。
大臣、誠は一体どこにあるんでしょうか。「意を決して之を為す」の覚悟で文部科学行政に取り組んでまいると所信でも決意表明をされていらっしゃった河村大臣に、ぜひ、原田先生の、こちらへお呼びいただくとともに、今後の責任問題も含めて、最後に見解をお聞かせいただきたいと思います。
○河村国務大臣 原田前副大臣をこの委員会でどうされるかは、これは委員長以下理事会の皆さん、委員会の皆さんがお決めになることでございまして、私からこれをどうこう言う立場にございません。
ただ、私どもとしては、極めて残念なことでございますが、文部科学行政、いろいろ難しい問題がたくさんある中でございます。新しく、原田副大臣が文部科学副大臣としての責任を感じておやめになった後、文部科学行政に練達の小野新副大臣を迎えましたので、皆さんと一緒に、さらに文部科学行政の遺漏なきを期して、その政策の達成に努力することがこの責任を貫いていくことにつながっていく、このように考えております。
○松本(大)委員 質疑時間が終了いたしましたので、最後に、きょうは、突然のニュースで、田村政務官には質問通告をしてお越しいただきながら、ちょっと御質問できなかったことをおわびいたします。
ありがとうございました。