だから、ダイスケ - 松本大輔のホームページ

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50歳

広電草津駅で朝立ち。ここも多分2年ぶり。

事務所に戻ると朝、草津で見たという激励メールが届いていた。私はとても単純なので、素直に喜んでしまう。

フッチセブン、インターンバリトンちゃんとともに大竹市制施行50周年記念式典に出席。地元広島2区選出国会議員としてごあいさつ。

私の父方の祖母は、すでに他界しているが、大竹の玖波の出身である。

昨年、「だからダイスケ」という私の大きなポスターが最も多く貼られていたのは、西区でも佐伯区でも廿日市でもなく、この大竹の街だった。

だから大好きというわけではないが、大竹は私にとってはいろんな意味で独特の存在感がある。
本日はそんな大竹の50周年という記念すべき日にお招き頂き、しかも思いで深いアゼリアホールでご挨拶させて頂きいた。有難い。

50周年といえば、人間にたとえれば50歳。「論語」では「50にして天命を知る」とされている年である。

大竹の天命(身に備わった運命、天から授けられた使命)とは何か。
それは、「新しい日本の夜明けを象徴する町」となることではないか。

大竹は幕末の長州の役の舞台としても有名である。かつて小瀬川をはさんで幕府軍と長州軍が激しい戦いを繰り広げた。いわゆる芸州口の戦い。石州口の戦いなどとともに四境戦争と呼ばれる。
もちろん、多くの方が犠牲になられたことはまことに痛ましいことである。しかし私がここで引き合いに出したのは、この戦いで幕府軍が敗れたことが一つのきっかけとなり、以降薩長の討幕運動が急激な進展を見せるようになったという点。
そういった意味で、幕末の大竹は、いわば近代日本の夜明けの町のだった。

それでは、町村合併で大竹市になってから今日までの50年はどうだったか。市民の方々のご努力で、臨海工業都市としての素晴らしい発展を遂げられてきた。
つまり日本の戦後の経済復興を象徴するような町である。

さて、今、わが国はその幕末、戦後に匹敵するとも言われる大きな時代の転換期を迎えている。

私達民主党は、地域への権限と財源の委譲を進めて、住民が主役の社会、地域の創意工夫がもっともっと生かされる社会を作っていきたいと思っている。

本日は記念すべき50周年だったが、この先の50年もやはり、幕末そして戦後同様、大竹が新しい日本の夜明けを象徴するような町として、ますますの発展を遂げられるよう、市民の皆様、議会の皆様、そして行政に当たられる皆様の一層のご活躍とご健勝を心からお祈り申し上げたい。