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高松塚古墳壁画問題

文部科学委員会で質問に立つ

本日は飛鳥美人で有名な高松塚古墳の壁画損傷問題を取り上げた。

■ 高松塚は文化庁の縦割りと隠蔽体質の中で瀕死の重症。処分と給与返納は国民負担に照らして軽すぎる。これでは到底責任問題は終わっていない。

1972年に発見された飛鳥美人をはじめとする高松塚古墳壁画は国宝、国民の宝だ。
しかし文化庁による独占管理、そして縄張り根性と事なかれ主義の結果、いまや飛鳥美人はカビだらけで瀕死の重傷です。しかも不注意からつけた傷には泥をぬり、またその事実を隠し、そのために報道機関に提供した写真の撮影日が改ざんされていたという有様だ。

昨年、通常国会閉会日翌日の6月19日という、絶妙のタイミングで調査報告書が出された。

本件の「けじめ」としては、小坂前大臣をはじめとする幹部給与の自主返納と当時の文化庁職員に対する戒告、訓告、厳重注意などの処分であった。しかし処分についてはすでに天下りするなどして国家公務員でない人も多く、戒告相当、訓告相当というもので、処分の結果がどれだけあるかは不明。さらに文化庁の資料によれば自主返納された給与の総額は738,900円である。

一方、この尻拭いに国民の税金がどれだけ投入されているのか。

文化庁の資料によれば
10年間で16億3千万円とのこと。もちろん国民の税金だ。

国の宝、国民の宝を毀損しておきながら、加害者は約74万円の負担で責任問題は事実上棚上げ、被害者の国民は16億円を負担する。

見方によれば文化庁は、無責任な管理体制の下、わずか74万円の負担で16億の予算を引き出した、まるで火災保険金詐取事件のような話である。

■ 壁画の劣化は発見後10年前後ですでに認識されていた。にもかかわらず問題なしとのコメントを続け、正しい情報提供を行なってこなかった。あるいは改ざんまで行なってきた。国民を騙し続けたのと同じ。トップの長官はなぜ出席しないのか。

さきほどの処分が発表された後、具体的には昨年9月、私も高松塚古墳に視察に行ってきた。

そのときの視察、そして今回の質疑に当たって調べを進めるまでは、高松塚の壁画は2001年のカビ発生事件まで大して劣化することなく、保存されていたという認識でいた。

国民の多くも、私と同じく今回の不祥事が起るまでは良好な状態で保存されてきたと信じていたことと思われる。しかし実は壁画は発見後最初の10年でかなり劣化が進んでいた。

文化庁に壁画の劣化はいつから認識したのかとたずねたところ、次のような回答が返ってきた。

「白虎を描いた線の薄れについては、昭和56年1月の壁画の点検・管理の際に認識した」

我が耳を疑うとはこのことだ。えっそんな前から劣化していたのか。というのが率直な感想である。

いったいどのくらいの薄れ、つまり劣化が起っていたのか?

文化庁が劣化を認識していたと述べた昭和56年から6年後、昭和62年3月に出された「国宝高松塚古墳壁画 保存と修理」と、壁画発見の年に刊行された「高松塚古墳壁画」。両者の白虎の写真を比べてみる。

昭和62年の「保存と修理」では白虎の退色・線の薄れそしてかびによる汚れは明らかである。

文化庁が昭和56年1月に劣化を認識していたのもうなずける。
発見から15年で壁画はかなり劣化が進んでいたということだ。

実は壁画の劣化は昨年の報告書がとりあげている2001年のカビの大量発生、さらには翌年の損傷事故が拍車をかけたことも確かだが、そのずっと前から、昭和56年、あるいは昭和62年の段階からすでに明らかだったということだ。

しかしこの事実は国民には事実上ずっと伏せられてきた。

国民は少なくとも2001年の事件までは壁画が良好な状態で保存されていると信じていたわけだ。

いやいやまさに87年に出版したこの「保存と修理」に劣化した写真を載せたんだから、隠蔽ではない、公表しているではないかとの言い訳は認められない。

この「保存と修理」がどの程度発行されたのか。
発行部数を文化庁に問い合わせたところ記録がないために分からないということだった。

なんと、国立国会図書館にすら納品されていなかった。これでは研究者の目にすら触れることはまれだった、ほとんどの方はその存在すら知らなかったとしても不思議ではない。

この「保存と壁画」は発見から15周年を記念して刊行されているが、それ以外にも、発見から10周年、20、25、30周年というサイクルで文化庁が展示会を開催したり、書籍を刊行したり、報道関係者に写真が提供されてきた。

しかしそうしたタイミングで、壁画の現状について文化庁からなにか文書が公表されてきたのかといえば、出されていないと、つまり劣化についての説明は文化庁の側から一切行なわれてこなかった。

25周年では担当調査官が「異常は無い」とコメントし、30周年でも発見時より全体的に色がくすんだという指摘もある中、同調査官は「自分の見た限り目だった変化は無い」と否定している。

さらにさきほどもご紹介した平成16年の「国宝高松塚古墳壁画」に至っては、序文に文化庁長官の序言つまり巻頭の言葉として「幸い、30年を経ても壁画は大きな損傷あるいは褪色も無く保存されております」今から25年以上前から劣化を認識しておきながら、ごく最近まで文化庁長官自ら問題無しとして片付けてきたわけだ。

発見以来、壁画を見つけた研究者にさえ見せることなく、文化庁だけが独占的に管理をしてきた。そして劣化を早い段階で気づきながら国民に対しては問題なし、異常なしとのコメントを繰り返してきた。

この報告書にもあるとおり、2002年、平成14年の30周年に際しての報道機関への写真提供については、なんと2年前に撮影した写真を直近のものといつわって提出し、カビの大量発生と損傷事故の影響を隠そうとした、また発見当時の画像と比較されて劣化しているのではないかとの指摘を受けた場合には経年による自然劣化と説明するよう指示するメモまで作成していた。

今日解体というリスクに直面していることを考えれば、文化庁が20年以上もの間連綿と繰り返してきた隠蔽と不作為は過失では到底済まされないほど重大な責任を負っている。そういわざるを得ない。

にもかかわらず、今回文化庁のトップである長官に本委員会への出席と説明を要求したが、それすらかなわなかった。大変残念でならない。

出席して説明していただきたかったのは現長官ばかりではない。

文化庁の無責任体制には統合2法人の経営陣が深く関与。責めを受けるべき。

発見から25周年の年、昨年処分相当とされた当時の林調査官が「異常はない」と話したときの彼の上司、美術工芸課長は今回統合される独法文化財研究所理事長であり、東京文化財研究所の所長である鈴木氏である。

30周年のときは、文化庁内の課名変更で、美術工芸家は美術学芸課となっていた。このときも同じく林調査官が「目立った変化はない」とし、2年前の写真の日付を偽って報道機関に提供したときの上司であり、自らも壁画損傷事故について報告を受けたにもかかわらず公表の判断や報告をしなかった美術工芸課長は、同じく今回統合されるもう一つの独法国立博物館の理事であり、奈良国立博物館長の湯山氏である。

両氏は、本法案で統合される独法の理事長と理事でもあり、壁画の劣化をいつから認識されていたのか、なぜ公表されなかったのか是非お伺いしたいと参考人としての出席と説明を求めたが、出張中ということでかなわかなった。

また両氏の前任の美術工芸課長であり、独法国立博物館理事である三輪氏(九州国立博物館)についてもご出席を求めたがやはりかなわなかった。

ちなみに国立博物館の理事長である野崎氏についても、本日は国立博物館で大事な仕事があるとのことではずせないとのことであった。

つまり、文化庁所管法案であり、高松塚とも大いに関係があるのに、文化庁のトップたる長官は来られない、本法案で統合される2法人の理事長もどちらも来られない、国立博物館の理事であり、壁画の保存に深く関わってきた元美術工芸課長のお二人も来られない。そして野崎理事長以外の4人がなぜかいずれもご出張中。つまり本法案の当事者の皆さんがことごとく本日の委員会審議に出席しない。しかも5人はいずれも文部科学省に現在在籍しているか、かつて在籍したOBだ。
国会審議をなんと考えているのか。

今回の統合でできる新法人は、今後も高松塚の壁画の修理と保全を担っていくことになるわけだ。
そしてその新法人の理事には、統合前の2法人の現在の理事たちがひとまず横滑りで就任する可能性が高い。

ところが、その中には、昭和56年以降高松塚古墳壁画の劣化を国民から隠し続け、もって今日解体にまで至らしめるという重大な責めを負っていると考えられる歴代美術工芸課長が3名も名を連ねている。

壁画発見の72年以降の美術工芸課長と主任文化財調査官のリストを見ると歴代の担当課長と主任調査官が、ほとんど例外なく、本法案で統合予定の2法人へ天下りなどの出入りを繰り返してきたことが分かる。

つまり国民を騙し続けてきた歴代担当課長と主任調査官が今回統合予定の2法人の経営陣でもあったわけだ。

本来ならこのリストにある方々全員に責任を取っていただきたいところだが、すでに独法を退職済みの方も多い。

であるならばせめて現在もこれら2法人に在籍中の3名については、今回の2法人統合を機に、退職させるべきであり、退職金も自主返納していただかなくては、10年で総額16億もの修理費用を負担させられる国民は到底納得しないと考えますし、何より、統合後も高松塚の古墳保全修理を管理する独法の経営陣としては極めて不適格な人材がその任に当たり続ることになってしまう。

連綿と続いてきた無責任体質に厳しくメスを入れていかない限り、独法をくっつけ、名前を変えただけでは、本質的には何も変わらないし、隠蔽体質と事なかれ主義がそのまま続いて、気づいたときには解体修理が解体処分になっていたということにもなりかねない。