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総理と初対決

教育再生特別委員会にて総理と初対決

今日はNHKでの中継もあり

総理は今年1月の施政方針演説で、「教育再生は内閣の最重要課題です」と述べている。
小泉内閣でも「米百俵の精神」ということが言われていた。
しかしその小泉内閣で国の文教予算、教育関連予算がどのように推移したかといえば、2002年度5兆5091億、2006年度は3兆9261億。この5ヵ年における減額は、1兆5976億円。つまりおよそ1.6兆円、率にして28.7%もカットされたわけだ。

総理は小泉内閣官房長官と言う重要閣僚でもあった。
その(小泉)政権下での国の文教予算およそ1.6兆円、率にして3割近いカットについて、教育再生を最重要課題に掲げる総理は一体どのように受け止めているのか。
見解を問うた。

国と地方をあわせれば変わらないという趣旨の答弁であるが、
そもそも国際比較ではまだまだ足りない。GDP比率で3.5% OECD加盟国平均は5.2% 
一方公共事業比のGDP比は3.9% ドイツ1.3 イギリス2.1 アメリカ2.5 
コンクリートより人に転換できるはず。高い比率の一因たる天下りなどの見直しもせず家計にツケをまわしているわけだ

しかも国と地方をあわせれば変わらないというが、税源の偏在、地域の財政力格差がある
総理は所信表明で「地方公共団体間の財政力の格差の縮小を目指します」と述べていた。
地域間には企業の存在の有無などもあり、財政力格差がある。
税源委譲が総額でいくらといっても、その結果増える地方税収、税源にはかなり地域間格差が存在する。
つまり地方に財源は移ったというが、文科大臣も2月の予算委員会で答弁しているように、三位一体改革による税源委譲とは、要するに東京などの都市に財源を移したに過ぎない。
これでは税源委譲したから総額では変わりないから、教育財源は今後も安定的に確保されるとは言い難い。
おまけに教員の退職金負担などもすでに地方に委譲されており、今後教員の大量退職時代を迎えるに当たって、退職手当の負担増が、ただでさえ厳しい地方財政をさらに圧迫していくことが予想される。
これでは居住地の財政力格差が、子どもの教育環境の格差になりかねない。
こういった認識の欠如が小泉政権下の国の教育予算カットに拍車をかけたわけだし、安倍内閣でも期待できそうもないという感を強く持った。

また、厳しい財政状況の中でもあったのだという答弁もあったが、財務リストラの順番を完全に間違っているといわざるを得ない

国の財政状況が厳しいことはよく分かる。財務リストラも必要だ。
民間平均給与が8年連続下落を続ける中でもあり、税金の無駄遣いは一円たりとも許さないという姿勢については私たちは与党に劣るつもりはない。
しかし、ものごとには順序、優先順位と言うものがある。

民間企業の財務リストラを例に取れば、財政状況が厳しくなった会社が取り組むべきは、第一に社長を含めた役員報酬の削減、経営陣の待遇の見直しです。その次に手を付けるのが遊休資産・不稼動資産です。本業とは関係の無いゴルフ場に手を出しているとか、社用車ということで高級外車を所有しているとか、社宅の名義の豪邸になぜか社長一家が住んでいるとか、こういうものを整理し、売却して有利子負債を圧縮していく。その上で過剰投資の見直し、仕入れコスト・調達コストの見直しを行なう。人材への投資、すなわち教育研修費であるとか、研究開発投資であるとか従業員の給与の見直しは、さきほど述べたような様々な経営努力をおこなった後で、それでも駄目なら初めて手をつけるべき領域のはずだ。

ところが我が国ではどうか。たとえば国庫負担が7割にも達する議員年金は、与党の賛成多数で事実上温存された。
官僚の天下りはどうか。2006年4月現在、実に約2万8千人もの中央官僚OBが、約4600ヶ所の公益法人独立行政法人、民間企業などに天下り(このうち役員クラスが約1万2千人)、その天下り先に4兆円もの補助金が、事業の発注を含めれば約6兆(5.9兆)円ものお金が投入されていることが民主党衆議院に要請した調査で(2007年3月29日)で判明した。
しかも事業の発注額1.83兆円のうちの実に1.8兆円が随意契約だ。

こうした随意契約や談合の温床となる天下りをまずは根絶すべきであることは誰の目にも明らかであるにもかかわらず、火曜日に本会議で趣旨説明された与党の国家公務員法改正案は、改正とは名ばかりで、今までは役所ごとに行なわれていた再就職の斡旋を、天下りバンクが一手に引き受けるというものに過ぎない。しかも、天下りについての2年間の禁止期間まで撤廃するという内容だ。

これでは天下りの原則自由化、事実上の全面解禁に他ならない。随意契約や談合といった過剰投資の見直し、調達コストの見直しは到底期待できない。「改革の炎を燃やし続けてまいります」と登場された総理だったが、この国家公務員法改正の議論を見ていると、改革の旗印は、お役所や族議員からの猛反撃ですっかり炎上してしまったように思えてならない。

国家経営者、経営陣の特権は温存され、過剰投資の見直しや調達コストの見直しは全く行われていない。その一方で、「国の宝」であるはずの人材への投資がどんどん削られてきた。本来まっさきに切り込むべき既得権を放置したまま、最重要課題であるはずの教育にかける国の予算をどんどんカットしてきた。ツケは家計と地域に回る。しわ寄せを食うのは、今はまだ税金の使い道についての発言権すら持たない、投票権を持たない次の世代、未来を担う地域の子供たちだ。こんな政治は、国家経営のありかたとして根本的に間違っていると思わざるをえない。

総理は色々おっしゃったが、小泉政権下で既得権への切込みが不十分なまま国の教育予算がカットされ続けてきたことは紛れも無い事実。
安倍総理は当時の官房長官行政権は内閣に属する。つまり小泉政権による国の教育予算カットに連帯責任を負わねばならない立場。その方が、教育の根幹を危うくしかねない政策に拍車をかけてこられた政権の中枢にあった方が、今になって教育再生を訴えていることに正直違和感を覚えざるを得ない。

闘う政治家を標榜されていたのならどうして身近に接した総理に方向転換を進言されなかったのか、残念でならない。

再生という言葉は死に掛かったものを生き返らせるという意味だということについてはこの委員会でも何度か話題となった。創り上げたい日本があるというポスターもちょっと前にあったが、壊してしまった責任もあわせて考えていただけなくてはならない。これはイラクも同様だ。子どもの道徳を言うなら、大人や国家が示すべき道義的責任にもっと謙虚であるべきだ。

次に教員免許の見直しについて問うた。
総理ご自身もおっしゃっている通り、教育はまさに人だ。
生徒にとって最も重要な教育環境とはやはり教師。その点は民主党も同意見。
しかし、そうであるならば、たとえば現状の2~4週間程度のある意味ではお客さんのような教育実習のあり方を見直して、自らの適性を判断したり本格的に教壇に立つ前に自らの学ぶべき点を確認してもらう意味からも、まず入り口の段階、つまり養成段階に手を付けることで、教壇に自信と誇りを持って立てないような人はそもそも生まない、作らないというぐらいの思い切った改革を行なわなければ、
政府案のように教員免許に10年の有効期間を設け、10年毎に30時間の講習を行い、修了認定されなければ更新しないというだけではなんら抜本改革にはつながらないのではないか。

総理の年頭の施政方針には『出来難き事を好んで之を勤るの心(できがたきことを このんで これをつとむるのこころ)』とあった。その割には小粒な見直しに留まったと言わざるを得ない。

次に地教行法関連の質問。
いじめや未履修の問題では教育委員会が適切に機能していなかったということが大きく取り上げられた。

北海道滝川市で小学6年生が亡くなった事件、岐阜県瑞浪市で中学2年生が亡くなった事件、福岡県ちくぜんまちで中学2年生が亡くなった事件など、学校現場や教育委員会がなかなかいじめとの因果関係を認めようとしない、こういった隠蔽体質や当事者意識の欠如というものが問題となった。

北海道のケースでは遺書のコピーを教育委員会が受け取っておきながら上司に報告もしないままあろうことか紛失してしまっていた。そして一連の事実が発覚したのは生徒が自殺を図ってから1年以上も経った後だった。

個別事例ばかりではない。2006年11月24日の内閣府「学校制度に関する保護者アンケート」、いじめへの対応という項目では「今、いじめにあっている」と回答した保護者の25.7%が「教員・学校・教育委員会はいずれも対応してくれなかった」と回答している。

少なくとも教育委員会の問題については、今から20年以上も前から指摘されていたことだ。

1986年4月の、中曽根元総理による臨教審の答申。1教育委員会の使命の遂行と活性化とあり、これには「陰湿ないじめ、いわゆる問題教師など、一連の教育荒廃への各教育委員会の対応を見ると…自覚と責任感、使命感、教育の地方分権の精神についての理解、自主性、主体性に欠け、二十一世紀への展望と改革への意欲が不足している…」とある。
まさに昨年のいじめ、未履修で露呈した教委の体質そのままだ。

20年以上も前に臨教審で指摘されておきながら、それを放置してきた。つまり陰湿ないじめに対し、適切に機能できない教育委員会が放置されてきた。結果として今日のような状況を招いた。「今、いじめにあっている」と回答した保護者の25.7%が「教員・学校・教育委員会はいずれも対応してくれなかった」と回答している。

教育委員会の機能不全も問題ですが、それを放置してきた政府や文科省の責任は極めて重いと言わざるを得ない。

因果関係を認めようとしない責任回避の姿勢、当事者意識の欠如、不作為という点では政府や文科省教育委員会と同じではないか

では民主党ならどうするか。
そうした政府や文科省の権限を今回の政府案のように強化したところで、学校、教育委員会、国の間で責任の押し付け合い、たらいまわしが繰り返されるだけであり、いじめなど学校現場が抱える様々な問題の解決にはなりえないというのが我々の立場だ。

最大の問題は「教員・学校・・対応してくれなかった」という言葉に象徴されている通り、今の教育システムでは、保護者や児童・生徒は一方的な教育サービスの受け手に過ぎず、学校現場とお上が、うまく取り計らってくれることをひたすら期待するしかないという点にある。

つまり、教育現場を変えたい、学校現場のここがおかしいと思っても、保護者や住民側の発意で学校現場を立て直していくためのすべが制度的に担保されていない点にある。

そこで民主党案では、保護者や住民を地域における教育の責任ある担い手と位置づけ、その発意を生かすための具体的制度論に踏み込んだ。

例えば民主党案では、公立学校に新たに学校理事会というものが設置される。
ここには保護者や住民といった方々にメンバーとして入っていただき、校長とともに学校運営に参画してもらうことになる。

その結果、例えばお子さんがいじめにあっている保護者の方が、担任の先生や学校に対応してもらえないというようなケースでは、この学校理事会にメンバーとして参画されている保護者仲間に相談することによって、この理事会で議題としてあげてもらうことができる。

担任のところで話が止まっているというケースでもこれにより校長先生も知るところとなる、学校内で情報共有が図られるわけだ。そうなれば次に開かれる理事会でも校長あの問題はその後どうなりましたかという具合に進捗状況を保護者の代表を通じて監視できる。

つまりは学校運営の風通しを良くし、隠蔽や先送りを許さない、何か問題が起ったときに迅速に対応できるようにする。こういう効果が期待できる。

一方で今回提出されている政府案はどうか。
資料の1ページ目には教育再生会議の報告との対比表を掲載させていただきました。残念ながら新鮮味に乏しい、焼き直しという感がぬぐえない。
それらをふまえた実際の政府案も21年前の臨教審に比べて目新しいものは、国の権限強化と教育委員会の活動状況に対する点検・評価ぐらいのものだ。

これでは学校現場とお上が、うまく取り計らってくれることをひたすら期待するしかないという現状は変わらない。つまり、先ほどご紹介したような学校や教師や教委が対応してくれないという保護者の不満が迅速に解消されることもない。
21年も前に答申を受けながら不作為を続けてきた文科省の権限を強化したところで、今さら誰も期待しないのではないか。