だから、ダイスケ - 松本大輔のホームページ

元衆議院議員 松本大輔のホームページ

政経塾生を迎えて

現役の松下政経塾生が国会にOBをたずねてくれた。

我々国会議員団への質問の中で、「志はどのくらい達成できたのか」「幸せとは」といった難しいご質問も数多く頂戴した。

時間の関係もあり、必ずしも言い尽くせなかったこともあるので、申し上げたかったことを改めて書いてみた。

人の生存をおびやかすもの
人の不安をかきたてるもの
人を孤独へと追いやるもの
人の尊厳を傷つけるもの

こういったものについては政治の力である程度解消可能。
いわゆるマズローの欲求階層説で言えば、
基本的欲求、安全への欲求、帰属への欲求、尊敬への欲求などだ。
これは政治の力でなんとかできる余地が大いに残されている。
このHPの「私の実現したい社会」はそのつもりで書いた。

しかしその後の自己実現は千差万別。
映画のハッピーエンドにいろんなラストがあるように。
物語の結末は「lived happily ever after.」にとどめ、あとは想像に任せ、あえて詳細を書かないように。
幸せの標準モデルは無い。
あるべきでもない。
むしろ人を興ざめさせるのではないか。

生きがいをあたえることが会社であれば経営者の、社会全体であれば政治家の役割と松下幸之助氏は述べたが、さきほどのべた4つのハードルを取り除いたあと、どんな幸せを目指すか、何を生きがいとするかは本人が考えること。
できることはその自由を邪魔しないこと。

実際に松下幸之助氏は、部下のモチベーションを高めさせるには、「部下の邪魔をしないこと」(『社員心得帖』)だとおっしゃっている。
モチベーションは最終的には誰かが与えてやれるものではない。それは太陽のように、少なくとも人間の一生より長くほぼ終生にわたって人を揺り動かし続ける魂の炎だ。
内燃機関である以上、最終的に火をつけるのはあくまで自分だ。

従って、魂に火がつくのを外的要因で妨げないようにというのが、幸之助氏の言う(部下の)邪魔をしないことではないか。経営者も政治家も似たようなものだと幸之助氏は説いていたわけだから、だとすれば本人の力ではどうすることもできない邪魔、妨げを取り除くことが政治の役割ではないか。

成人式でこんな話をしたことがある。

大人と子どもは何が違うか。

休みの日にどこかに連れてってくれる大人はもういない。
学校を卒業し、もうそこに行く必要がなくなったら、次はどこに行きたいのか、どうやったら着けるのか、自分で考えるのが大人だ。
幸せは自分で探すもの、考えるものだ。

もう一つ。自分の幸せは自分で考え選び取るべきだといっても、それは自分の幸せのためなら他人にどんな迷惑をかけても良いと言うことではない。
大人には、何かをやらかしたときに、代わりに謝ってくれる保護者はもう居ない。自分の選択、決断、やったことに関し、責任を問われるのが大人だ。ケジメはきっちりつけるのが大人だ。

しかしあとで責任が問われるからには、その選択には最大限の自由が尊重されなければならない。
チャンスは平等に与えられなければならない。
だからこそせめてチャンスの平等だけは、すべての人に保障されるべきだ。
チャンスの平等を最終的に担保するものは、教育の機会の平等だ。
生まれ住む家庭の経済格差や地域の財政力格差や人種の違いやチャレンジドであるかどうかによって学ぶ権利に差があってはならない。
学ぶこととは不幸の要因を「学習」するとともに、色々な幸せの形を知ることだ。
幸せの多様性を知ることは、自分の伸びしろを感じることだ。可能性を感じることだ。つまり希望を知ることだ。
選択の先に希望が見えなければ、
希望が見えない中で選択を余儀なくされるているのであれば、
これほど人を無気力にさせるものはない。

だから私は教育と言う分野を選択した。幸いなことに第一希望の文部科学委員会に初当選以来ほぼずっと所属をさせていただいている。

もちろん日本の課題は教育だけではない。多岐にわたっている。
志は恥ずかしながら道半ば未満だ。
志を遂げるには、松下幸之助氏の言う衆知を集める必要がある。同じ旗の下に同志が集う必要がある。その器が政党だ。
衆知を集めるという意味では、違う選択肢を提示できる存在が必要だ。
その意味でも第二党、業界二位に入ったことは今でも間違っていなかったと感じている。
がんばらねば。